4月23日の情報が詳しい!4月23日といえば?
「街を巡る」松が谷~谷中「太田錦城」の墓 ナスカ展の内容に少々落胆しながら足取りも重いが、以前 巡り会えなかった樹を巡るために、谷中を目指す。 ... こちらに 「太田錦城」(1765~1825)の墓があると説明板に出ている ので、立ち寄ってみた。 ...
... 江戸後期の儒者太田錦城(1765~1825)は、古代から近世までの中国儒学史を数語で言い表している。 漢学は訓詁に長じ、宋学は義理に長じ、 清学は考証に長ぜり 太田錦城がいう義理とは、 一つの理屈を崇高なものにし、人間の日常感情をして為し ...
... 国家 金― ツングース 民族 南にのがれる 蒙古 に滅ぼされる 孫泰山 992-1057 欧陽修 司馬光 朱子 (1130-1200) 太田 錦城(1765-1825) = 儒者 P022 後 醍醐 (1288-1339)とその 側近は宮廷内の内紛を 経てゆくのち 宋学 という ...
... 善庵と號す、又た草軒、富春と號す、姫路藩の醫員にして學を好みて交藻あり、江戸に到りて、太田錦城の門に入る、人と爲り、滑稽洒脱、好んで談笑して人の頤を解かしむといふ。 此書は隨園詩話の體に傚ひたるものにして、其意強いて門戸を立て ...
... 太田錦城が、日本では神武開国以来、人が人を食ふこと見当らざるは、我が国の風俗の淳厚、遠く 支那 に勝る所以として自慢して居るが(『梧窓漫筆』後編上)、この自慢は 支那人 と雖ども承認せねばなるまい。 ...